昭和40年08月31日 夜の御理解
今日、午後からで御座いましたが、小倉の富永さん達が、親子三人連れで久し振りでお参りになりました。病気されて、こっち、非常にこの足が弱られて、チョットしたものでもそのつまづく、それから、良子さんが、手を抱える様にしてから、おかげで大変元気になっておられますけども、足がこう上がらない。チョットしたものでもつまづかれるから外歩きが出来ない。
けども今日、念願がかのうてお参りがでけた、って言うて喜んでおられましたが、その色々信心のよもやま話の後で御座いましたが、先生私はもう今度の、御造営と言う事に付いてから、まあ本当に何にも出来ない、年寄りの私で御座いますから出来ませんけれども、まあ明けても暮れても、その事ばっかり考えておるんですけれども。ついてはもう先祖伝来からの、お土地が少しばっかりある。
それをあの他の親戚の方が、そこを使っておられるそうで御座いますけれども、ですからそれを私はどうでも売らせて頂いて、そしてその御造営費に当てたいとこう言う訳なんですね。どんなもんで御座今しょうかと。もう良しも悪しもないでしょう、御造営に繋がっておる事ならば、そりゃもう大変結構な事ですよと言うて、まあお話しした事で御座いました。そしてまあ今朝の御理解を説かせて頂いたんですけれどもね。
お互いが今朝の御理解に頂きます様に、信心の足元が乱れて来ると、怖くないものまでが怖く見えて来ると、怖くなって来ると言う事ですと。信心の足元が乱れて来ると、怖くないものまでが怖く見えて来る様になる。ですから信心とは、その言わば反対。今まで怖いとか不安とか、心配とか、言った様なものがです。信心が、しっかり出けて来るようになると、これは不安に思う事ではなかったたい、心配に思う事でもなかったたいと。皆んな神様のご都合であった、ご神意であった。
神愛の現われであったと言う風にこう分かって来る。怖いと言うものがない、信心させて頂く者の、この前途には、怖いものも、実はなからなければ、難儀な事はないのですけれども、それを難儀と見る。それが迷うて来るんです。足元が乱れて来るから。本気で例えば、そのささやかな修行でもさして貰い、教えに取り組ませて頂いてです。信心させて頂く者のあり方を、間違えん様におかげを頂いて行けば、心の中に頂けるのは愈々安心であり喜びである。
不安もなからなければ焦燥もない、勿論怖いものなんかある筈がないと言う様な御理解だった。そう言う意味でね、私は、よくアメリカの大金持ちと言ったような方達が亡くなりますと、必ずそれを社会施設とか、宗教関係に全部その財産を献納してしまうんです。そういう意味合いで、矢張りキリスト教あたりの教えと言うものは、本当の事を教え、本当の事に徹底しておると私は思うんです。
あれが日本だったらどうでしょう。沢山な財産を残して、もう少しでも、子供の為に残しておかんならん。少しでも余計財産を、一反でも余計田を残しておかなければならない。子供の為に美田は残してはいけない。言われておるのですけれども。子供の為にその子供の為に、子孫の為に子孫の為に、と言うていうならば、ばい菌の付いたぼた餅を残してやっとるようなものですから。
その財産で結局まあぐうたらな息子が出来たり、その財産の為に不身持になったり、結局大怪我をして財産を無くしてしまうと言った様な、元を残しておる。それをアメリカあたりでは、それはそうじゃない、子供の為に残すんじゃなくてです。それを社会の為に、社会の明るくなって行く事の為に、又は宗教関係なんかに、それ全部この献納しておる。それが遺言されて行くそうですね。
ですから例えば、そのそれを遺言する時にです。どういう気持ちになるでしょうね。私は本当にこの世に、何十年間生きて来て一生懸命働いてこれだけの財産を築いた。けどもこの築いた財産が、ね、これから社会の為に。または人が助かる事の為に、宗教関係または、そう言う社会施設の為に、お役に立つんだと思うただけでも、もう私は極楽行きと言う気がしましょうな。どうでしょうか。
所がどうでしょうか、もうそれこそ俺が死んだっちゃ、もう良か葬式はするこつはいらんぞ。こりゃ私の知った人がですね、もう爺さんが難しい事なった訳、それでもうあすこの養子元さんが、あの本当に死んだ時なっとんと思うてから、エバーソフトのこげん厚か、その布団ば買うて来てから敷かせた。ところが、もう息の切れるごたるお爺さんが、こげな高っかもん買うてから、おごらっしゃったち。
それはほんの、この頃の話しなんですよ。ほんな話し笑い話じゃない。それこそやっぱり子供の事思うてから、それこそこれが一万円するなら一万円でん余計、子供の為残してやっとかなならんと言うんです。果たしてそれが、どのくらい役に立つでしょうか。自分はそう言う欲をしながら行ってです、閻魔様の前にどげな顔して行くやろか、と私は思うですね、実際の話し。
成程、私は良い事もして来ませんでした。神様の心に叶う事はして来ませんでしたけども、これだけの財産が出来ました。けどもこれは神様が、御仏様が、喜んで下さる様な事に、これからは、全部使うて貰ます、と言う様な気持ちになって、美しゅうなって、あの世に行かせていった様な事になったら、もう間違いなしに閻魔様の前に、堂々として私は行けれるだろうと思う。
もう極楽行き間違いないですよね、そう言う様な考え方が出けて来るんですから。私ゃそう言う話しさせて頂いたんですけどね、ほんとに冨永さん良い事、考え付かれたなと、私が言うんですよね、もう本当にねえ、その先祖伝来のそのまあどの位の土地かしらんけれど、そりが、本当にもうそれこそ、神様の悲願が叶えられると言われておる、椛目の御造営の為に、全部が奉納出来る。
こんな有難い事はないですなと言うて、まあ私一緒に喜び合うたので御座います。今日は若先生始め、修行生の方達が光昭も含めて四名、私のまあひとつの修行場でもあった、みゅうとぎの山の中腹にあります、お滝場にお水を頂きに行ったんです。ここの人達も一通りあすこに行きますもんね、一辺は。皆んな。まあそんな事で御座いました。今日も、祈念奉修を一時間早めて、そしてあちらへ参りました。
そしてあちらへ参りましてから、あすけその人の奥さんが、久富先生の従兄弟さんに当たられる方らしいんですね。そのメクラさんですけども、もう何十年ちあそこに主のごとして、あすこへ御座る方があるんです。その人があのこんなして椛目から来たけ、まあどうぞよろしゅうち、言うた所が椛目はどこのと、金光様だと、はぁんなら、あんたがそこの息子さんのち、言うごたる風だったらしいんですよね。
それでそのその人が言われる事ですね。私が言い当てたち。もうこの人こそ神様になる人やろち、私が思いよったち。私忘れとったんです私はあそこで本当にあのもう十一月でしたけれども、もう大体ニガゴリなんかない時分ですもん、赤ぁい種に取ッとる様な、ニガゴリをですね。賞味されたのを私がお粥を炊いた時焚いたら、何も無しじゃいくめけんでこれ食べなち言われて、出された事だけは覚えとりますけれども。
私が大体四、五日の予定で出とりましたもんですから、米を少し余分に持って行っとったんです。ほんに言われりゃそうじゃたな、と思うんです。あの時分遅配欠配で、もう大変この難儀をしておる時ですね。その山のその方もそうだった。今夜なん食べるじゃろかち言うごたる時に、あんたげんお父さんが、そのお米を全部私にやって行かしゃったち。もうこの人こそ、神様になる人じゃろち(笑い)もうそりゃ、あんたげんこつは私ゃ、あんたげんもんよりか知っとるばのち。
今朝も、その土居から参って来らっしゃってから、あんたげん話しが出た。まあ、あっちん今度六反もあるとこば、手を出しよらっしゃる。もうそれでん中鶴さんの世話で、それこそ具合よう知ってあるですね。皆んなお参りする人が、やっぱ信心のよもやま話の中に、椛目の話しが出るらしいんですよ。今日も、あんたどんが来る前に、土居から参って来た人がその話しを、しとったと言うて話された。そりゃ、まあお世辞じゃったかも知れんけれどもです。ね。
私がおかげ頂かなかったら、ほんに椛目に厚ましかとがいっちょ居ったと、言うぐらいの事だったかも知れんけれどもです。私がだんだんおかげ頂いて来たからです。はあ、私がその言い当てたと、あの人こそ神様になる人じゃろ、と思いよったらやっぱ、そのおかげ頂かっしゃったと、言う様な事をまあ、大した事げなねと、言うてその言われたとこう言う訳なんです。
そしてその勝彦に言われる。あんたどんがその親がその徳を積んでから、沢山財産を作る。その後であんたどんが行った。そげな事ではあんたどんおかげ頂かれんち。あんたどんが今お滝場で、それこそジゴん出るごた声で、その大祓い上げよったが、あげなもんじゃ出けんち。まあ、言うてからまあ気合い入れりゃっしゃったち、言う訳なんです。そりけもう一辺お釈迦様かね。
お釈迦様がその王様の王子様に生まれられたけども、無一物になってからああいう大きな仏教の開祖とまでなられた様に、あんたも一丁もう真っ裸になってから、その修行せなこてお父さんは跡は継がれんばのち、言うちから言われたと言う事なんです。ところがです、私は信心の有難いと言うのは、此処だと必ずしも社会施設に全部投げやっとかんでもいい。死んだ時に子供にひとつも残さんな、その宗教関係に、奉納してしまうと言った様な事ではないですね。
それはありますよ教会でも、もう全部例えば、久留米教会なんかは、御本部のしょゆうになってるです。御本部のざいさんになってるんです。教会がもう初代でも、先を見取られたんでしょうねやっぱり。けども私はそう云う事ではない。私は、私の信心、私の精神を伝えて行きたい。いわゆる、私の物はなんにもないと言う事です。勝彦が必ずなら裸にならんでもよい。
父から受けた、例えば財産と言うか、このお広前と言うものがです。私の物ではないと言う自覚が、子供に出来なければ子供自身が、おかげ受けられないのがお道の信心なんです。ですからもう生きながらにしてです。生きながらにして、我情我欲を放しておるのですから、もう言わば、わざわざ財産を優雅にして、その社会施設の為に残しておくと、いったような事しなくても。
閻魔様の前に出る時に、大威張りで出られる、気持ちが開けて来るのが御道の信心。それを私は、日々生きて行く中にです、日に日に生きるが信心なりと言う中に、そこをどれだけの財産を持っておってもよいから、例えば久富繁雄なら久富繁雄の財産ではなくて、神様の御物である、神様の御財産である、神様のお土地である、神様のお金であると言う事がです、分からして頂くと言う事が、我欲を去る事なんです。
そこに言わば見易い様で、大変難しいまた信心にもなる訳なんです。形だけじゃいかん、口だけじゃいかんのですからね。だから例えば私しの後を継ぐ、勝彦なら勝彦にはそこんところが十分解ってさえおけば、今更お釈迦さんじゃないけれども、丸裸にならなくても、そっから本当なものが開けて来るという風に感じるんですけども。今日、私そう言う様な、富永さんのお取次ぎさせて頂いたり、その滝場でのその方の話しを、聞かせて頂いたりしてからです。
金光様の御信心は有難いなぁと、言う事をいよいよ深く感じさせて頂いた訳です。皆さんそれを感じられるでしょう。金光様の御信心は有難いんだなと、我情我欲を放れてと、本当に真の大道を分からして貰うという所に、我が身は神徳の中に、生かされてある喜びと言うものが、分からして頂く様になると言う事、信心とは。それには、これも私が、これも私が、と言った様なものでなく、その為にです。
そういうこれも私が、これも俺がつぞと言う様なものが入っておるところの財産であったならば、残してはならないと思うですね子供に。私自身にそれがないんだもの。ですからこれには、ばい菌が付いてるはずがない。それを素直に受けてさえ行きゃ、それによっておかげ頂けていけれると言うわけ。これは椛目だけの事じゃない、皆さんの上においてもそれが言えるのです。
どうぞおかげを頂かせて貰うてから、いよいよ成程場合によってはです、私はあの上滝さんが亡くなられました時、百日間のまあ今から思うても、身の毛のよだつ修行をさせて頂いた。よう出けたもんだと思う。同時に私は、もう私しの持っておる一切の衣類を、全部ここで修行しておる先生方に、私差し上げました。もう奉仕する袴までなくなりました。もう最後の袴は、楽長の田中さんに私、渡しました。
秋永先生、当時光橋先生、文男先生、久保山先生、もうだから、私はそれも、久保山先生に上げるものがなかった、最後に。だから椛目にあるだけの、お金ば、私し丁度、福岡に行っと、福岡であのしとる時で御座いましたから、あれを全部持って来て下さいと言うてから、私があの当時、やっぱり出来合いじゃったけども、最高の洋服を買うて久保山先生に差し上げました。これは言うならばです。
私はそこからです、私の助かりを願ったわけなんです。私がいわゆる真っ裸になって、そこからそりゃ上滝さんが亡くなられたと言う事は、上滝さんが御無礼しちゃったけんでといやそれまでだけど、私は私として、そこに私神様に対して、あいすまんと言うところから、そう言う修行もさせて頂いたんですけれどもね。今はもう誰が死んだって、そんな事はしやしません。
それだけはおかげ頂いてとる。と言う訳になるんですけれども。だからそれはひとつの、そう言ういわゆる有難い心を開かせて頂く為の、これは一つの手段としてですね、今の福岡の吉木先生が大病された時も、そうだったらしいですね。持っておられる自分の着物、持っておられる銀行に入っているだけの財産、それを御本部と親教会に、全部御供えなさったそうですね。
そして奇跡的に助かられたと。言う話を聞いた事が御座いますけども。そこに助かりの道と言うのは、これでこれで助かるぞと、言った様なものが心の中に、頂ける訳なんです。例えば、心にどげなお粗末御無礼を感じて、相済まじゃったと言う事が、これでお詫びがかのうた、と言う様な心が出きる訳なんです。それから助かって来るんですね。信心ちゃ実に不思議なもの。本当に心次第なんです。
おかげを頂きました。